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Bartók Béla (1881-1945)
2018/07/12オーケストラ・コンサート(7/15,16) 曲目解説を掲載

いよいよMMCJ2018フィナーレへ!7/15(日)、16(月祝)オーケストラ・コンサートの曲目解説を掲載しました。

Program Notes
オーケストラ・コンサート
7/15(日)横浜みなとみらいホール・大ホール
7/16(月祝)紀尾井ホール

■ベートーヴェン:交響曲第1 番 ハ長調 Op.21

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年生・1827年没)が残した9曲の交響曲は、200年がたとうとしている現代もクラシック音楽界の金字塔として敬愛され、世界中で演奏され続けている。しかしベートーヴェン自身は交響曲というジャンルに対して慎重であり、第1番を手掛けたのは30歳になろうかという1799年から翌1800年にかけて(19世紀は目前!)。18世紀にはハイドン、そしてモーツァルトらが交響曲という分野を発展させたが、ベートーヴェンはそのバトンを受け継ぎ、しかも自分流のクリエイティヴ精神を発揮して、実に個性的な9曲を創造したのである。交響曲第1番はそのスタート地点であり、9曲という壮大な流れにおいては“偉大なる助走” と言えるかもしれない。

21歳のとき(1792年)にウィーンへと移住したベートーヴェンは、まずピアニストとして頭角を現している。並行して作曲も行うが、その多くはピアノ曲や室内楽だった。それゆえ交響曲第1番は満を持して手掛けたオーケストラ曲であり、自分の個性をアピールできるチャンスでもあったのだ。曲は4つの楽章から成る。

第1楽章:ハ長調、序奏~ソナタ形式(主部)。緩やかな序奏から、弾むようなリズムを使った主部へと進む。
第2楽章:ヘ長調、ソナタ形式。軽快な舞曲風の緩徐楽章。楽譜には「cantabile(よく歌って)」という指示が記されている。
第3楽章:ハ長調、複合三部形式。既存の交響曲であれば優雅なメヌエットを置くが、ベートーヴェンは躍動的なスケルツォを置いた(第2番以降も、それは続いていく)。
第4楽章:ハ長調、ソナタ形式。短い(しかし印象的な)序奏の後、音楽が滑り出すように動いていく。

■猿谷紀郎:エウレカ (MMCJ委嘱作品/2018、世界初演)
→作曲者本人による解説&プロフィールを見る

■バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116

ハンガリー王国のナジセントミクローシュという街(現在はルーマニア領)で生まれ、ハンガリーと周辺地域の民謡などを引用した曲、モダニズムに傾いたやや過激な作風の曲などを次々に発表したベラ・バルトーク(1881年生・1945年没)。しかし、1930年代に台頭した(ナチス・ドイツなどの)ファシズムへ抵抗する姿勢や、自作がなかなか理解されないことへの反発もあり、60代を前にした1940年にはアメリカのニューヨークへ移住する。

1943年の夏から秋にかけて作られ、1944年にセルゲイ・クーセヴィツキー指揮によるボストン交響楽団が初演した「管弦楽のための協奏曲」は、バルトークにとって最後の輝きを放った作品群の1曲となった。「協奏曲」とは本来、特定の楽器と奏者を前面にフィーチャーした作品だが、バルトークは名手揃いのオーケストラを想定し、どの楽器(パート)にも花を持たせるような名人芸的作品を書いたのである。また作曲当時のバルトークは病を得て作曲意欲を失っており、クーセヴィツキーらが新作を委嘱することで手を差し伸べたとも伝えられている。

第1楽章:「序章」 幻想的な序奏で幕を開け、変拍子による躍動的な主部へ。中ほどには金管楽器群によるフーガがあるなど、聴きどころは多数。
第2楽章:「対の提示」 管楽器がペアになってバレエを踊るような楽しい音楽。
第3楽章:「エレジー(哀歌)」 陰鬱な音楽から激しい叫び声、思索的なヴィオラの歌と続き、再び「叫び」「陰鬱な音楽」と戻っていく。 
第4楽章:「中断された間奏曲」 変拍子による軽快な音楽。途中でレハールのオペレッタやショスタコーヴィチの交響曲などに出てくるメロディが、意味ありげに挿入される。
第5楽章:「フィナーレ」 ホルンによるファンファーレで始まり、バロック音楽における合奏協奏曲風の主部へ。各楽器(パート)がすべて輝く、まさに名人芸を披露するような楽章。


文:オヤマダアツシ(音楽ライター)

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